5. グループウェア・SNS作りの模索 |Web常設展「回覧の軌跡」

―FDの回覧から始まり、インストゥルメンタル曲の作曲に至るまで― これまでの活動を紹介。

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updated 2014-05-27

ポータルサイト、グループウェア、SNS…。
今では当然のように使われるものであるが、時は2001〜2004年、プレイヤーは高校生…。
それらは身近に手をつけられるものではなかった。とはいえ、そんな仕組みや仕掛けを求めていた。
HTMLを少しいじれる、CSSになると多少おぼつかない程度の@chi_ri_jinと、徐々にCGIを習得していった@takiwo88がどこまでできるのか。
何も世間の何かに追いつこうとしていた訳ではなく、単純な「あったらいいな」に向けて、その模索は始まった。

高校の生徒会活動・新聞委員会にて

時は2002年、@chi_ri_jin@takiwo88が高校2年の頃である。
生徒会の1機関である「新聞委員会」の一員だった頃、週1回のペースで学校新聞を発行していた。多くは1枚表裏の簡単なものだが、時に頁数の多いものもある。とりわけ夏季・冬季休業時は、登校日がない中、多くの記事を載せたボリュームの新聞を制作する必要があった。複数のメンバーが、それぞれ別の活動をしながら、どのようにして記事を揃え、組み合わせていくのか。この進行管理と情報共有が重要だった。そこで「新聞委員会 Digital Office」は誕生している。

新聞委員会 Digital Office

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ちなみに、メンバーの活動時間が異なるため、自宅にいながらインターネットを介して会議をすることも多かった。このとき利用していのが無料「チャット」レンタルサービスである。Messengerもあったが、何らかの事情で何故かチャットを使うことが多かった。10秒感覚でリロードされるだけの仕組みでリアルタイムではないため、会話のタイムラグは多々発生した。

話がそれたが、こうした会議スペースや掲示板を会議用、雑談用と多々用意していた。こうしたサイトへのリンクと、日程管理(入稿期限等)の共有カレンダーと、その下の青いテーブルでは頁構成(内容)と完成度の共有、その下は情報源として校内のあらゆるサイトへのリンクが置かれていた。1枚もののHTMLでHTMLそのものを共有していたが、これをシステム化すればグループウェアだっただろう。(発想は一緒とはいえ、程遠いものがある。)

「新聞委員会Web」・「Web-ts」

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なお、発行していた学校新聞も、Webで見られるようにしてはどうかと、インターネット上での公開に踏み切った。これはDigital Officeより少し前で、2001年の秋からである。
左側が新聞委員会のサイト(活動概要等)で、右側が新聞記事を閲覧できるサイト「Web-ts」(立高新聞)である。
このころ、全国各紙がこぞってWebで記事を閲覧できるようにした時期であり、それに足並みを揃えようとした動きだった。実施して分かったことは、Web化をすると発行が二度手間になるということだった。全国紙と足並みを揃えようとしても、たかが学校新聞である。アクセス解析は入れてなかったが、一体何人がこのサイトを見ていたかは謎である。

「高校公式Web」・「立高生の広場」構想

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これは、@chi_ri_jinの単なる構想で終わった話である。
当時、私達が通う高校には公式Webサイトがなかった。
(※たまたま画像をこのサイズにしたら、文字が「ギリギリ分かる人には分かる」くらいのサイズになってしまったが、高校名を隠している訳ではない。東京都多摩地区の、課外活動が盛んな都立高、「東京都立立川高等学校」である。)

そこで、生徒会の報道機関と位置づけられていた新聞委員会として、情報発信の一翼を担うべく、公式Webをやろうか、と思ったこともあった。そんな重いものを実行したかったというより、ただ作りたかっただけなので、この話をどこかに挙げたことはない。そもそも新聞委員会の動きとしてできるのであればやったかも知れないが、当然のことながら、周囲の反応は鈍いものだった。

鈍いのにさらに構想はあった。在校生同士の情報交換サイトである。
これこそ生徒会の報道機関として、世論の中心として考えたことではあった。「生徒会寄りの一方的な学校新聞の発行だけでは存在意義が薄れるだろう」と考えていた。何やら落ち目の業界で起死回生をかける民間企業の発想に似ているが、学校内の組織は、とりわけ「公共機関」に近く、そんなことを考える必要はなかったのだ。もちろんこの発想に対する反応も鈍かった。というか、これも1人間の発想だけで、実行力はなかったし、実際やったら新聞の発行どころではなくなり、人手不足…の前に計画倒れになっただろう。

これはポータルサイトを意識した何かだっただろう。SNSはまだなかったし、その発想も湧いてなかった。2001年の冬のことである。

SNS「三日箱」誕生へ

2004年3月、高校を同じくしたメンバーは別の進路をとることになった。
Web上で情報交換、情報共有ができれば良い、ということで、メンバー限の情報共有サイト「三日箱」を作ることとなった。
主要メンバーは内部で日記を書き、周囲にいた関連メンバーのブログのリンクを置き、
主要メンバーはいつ予定が合うかが一目で見て分かるよう、Webカレンダーシステムを作った。

このとき、言いだしっぺの@chi_ri_jinも、CGI構築した@takiwo88も「SNS」というものを知らなかった。
今思い出してみれば、あれはSNSであり、グループウェアである。
「である」と言えるほど充実したものではなかったとしても、それを作ろうとした動きだった。

3年前から考えると、少なくとも、情報交換と共有の手段が、フロッピーディスクからWebに変わっただけの話だった。

回覧SNS「三日箱」TOP(左)と個人用管理画面(右)

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これが回覧グループの集大成と言って良いかも知れない。とはいえ参加者は10名未満である。
TOP(左)では、各自で設定した地域の天気予報、こちらから発信しているリンクと、メンバーが個別に設定できるリンク、日記執筆メンバーの日記更新情報(各人、最近1件の見出し)、今日と明日の各メンバーの予定、ファイルアップローダーつき掲示板、一般掲示板のリンクが置かれている。この中で「各自で」とされている部分は、画面右の設定画面で設定可能だ。

回覧SNS「三日箱」回覧カレンダー(左)と回覧日記(右)

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回覧カレンダーは4人が参加、各自の予定管理ツールであるとともに各メンバーの予定が合うかどうかの確認に長けた仕様となっていた。しかし、用がない限り会うことはないメンバーのため、実際に予定合わせのために活用されることはなかった。そもそも大学1〜2年の当時は、複雑な予定はなかった。また、人に言えない予定もなかったため、これで個人の予定管理もできていた。実際、2004年〜2007年頃まで活用されていた。それ以降、@chi_ri_jinは予定の複雑化に伴い、Illustratorによるカレンダー作成に転換、2011年からはGoogleカレンダーに転換、5色以上に予定を色分けして管理している。ついでに言うと手帳を持ったことがない。

右側の日記は3人が参加、「ひとこと日記」の手軽さもあいまって、2004年〜2005年頃まで賑わった。機能性を追求した点は、三日箱(メンバー限)のみの公開か、百貨箱(Web一般公開)かを管理ができるようにしたこと、コメントを可能にしたことだ。

回覧SNS「三日箱」管理画面。アクセス解析(左)と回覧予算表(右)

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三日箱も管理者の管理画面になるとロゴが異なる。左側がアクセス解析で、アクセスがないため白色だが、あれば青色棒の棒線グラフとなる。下が、累計でブラウザやOS等のアクセス比が見られる。これによって対応ブラウザやどのサイズを前提に作れば良いかが分かるという訳だ。しかし実際は勝手知ったるメンバーなので、このグラフによって新発見がある、ということはない。右側が予算表で、birdさんの協力で完成。このサーバーを借りるのに必要な経費が入力、閲覧できる。グループ全体での支出等はここで提議する、というものだったが…結局現在@chi_ri_jin@takiwo88の2名の共同管理となった今、個々の連絡で済んでいる。

実際、グループウェアとしては2〜3年活用された。今でもファイル管理の一部機能で@chi_ri_jinはログインしている。内輪サイトではあるものの、長命なサイトとなった。そしてあとで考えてみると、SNS、グループウェアを作りたかったんだなぁ…と回想したのである。

Story06 (行動範囲と友人関係を交通網にする)

01〜05と全く関係ないことだが、回覧ではスタンダードになっていたことの1つだ。併せてご覧いただければと思う。

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