6. 行動範囲と友人関係を交通網にする |Web常設展「回覧の軌跡」

―FDの回覧から始まり、インストゥルメンタル曲の作曲に至るまで― これまでの活動を紹介。

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updated 2014-05-27

架空の鉄道を走らせることは、公共交通網に興味のある男子がいかにも考えがちなことだ。

@chi_ri_jinは、空想地図を描くくらいだから、当然そんなことも考える。中学校に進学したとき、通学路を1つの路線として考えた。現存する公共交通網、鉄道網と同じスケールのものではなく、通学路を徒歩で歩く速さの鉄道で、小刻みに「駅」を置く一回り小さなスケールのものだった。

この路線図を描くことが日常になり、やがて複数人を巻き込み、行動範囲や人間関係が路線図になっていった。

3人の通学路が、3社の鉄道路線に。

正確には同じ方向から中学校に通ったのは最大5人だったが、この「通学路を鉄道に見立てる」発想に乗ったのが3人だった。これが、回覧グループのメンバーページを作ったのと同じ@chi_ri_jin@takiwo88・中村くんの3人である。この3人の勢力圏(自宅周辺)がそれぞれ3社の鉄道路線となり、相互に接続し、乗り入れる…ような構図になった。

3社鉄道案内.jpg神1駅時刻.jpg

3社の路線案内・時刻表 (@chi_ri_jin作成)

利用する観点で、妙に具体的なところは具体的になっていた。時刻は、いつもこの通り動いていた訳ではないが、個人的に行くことが多いかどうか+人通りを加味して本数を設定していた。
ちなみに、中学校からの近さ(=集客人口の多さ)と個人の資質もあって、中村くんは黒字、@takiwo88は毎年黒字と赤字を行き来しており、@chi_ri_jinは毎年赤字、という設定になっていた。

@takiwo88が作成した自社区間のきっぷ。

佐鉄きっぷ.jpg
テプラで作成されているため、なぜか貼ることができる。

これに関するやりとりは通学路でなされ、ドキュメント(といっても紙に手書きだが)となり、必要に応じてFAXで送受信していた。「たきぞう通信」(@chi_ri_jin)と「佐鉄通信」(@takiwo88)はこのとき生まれている。そしてフロッピーが登場し(それ以降はStory01をご覧ください)、「回覧」では「たきぞう電気通信」「佐鉄通信網」と若干苦し紛れに名前を変えて形を変えて行ったのだった。

中学校卒業後は、鉄道は廃止されバスへ転換。

鉄道が廃止されてバスに転換される、という事象は、地方ではよくあることである。これを自分の日常の範囲内で密かに再現したかった。なにしろ中学校を卒業すれば、めっきり中学校には行かなくなる。もっと言うと@chi_ri_jinは中学校が嫌いだったため、そのあたりの路線を残したいとは思っていなかったというのもある。国鉄の民営化前後のように、中学校周辺の鉄道網は"徐々に"廃止されていき、やがてメインの幹線もバスに転換され、そのバスも本数が徐々に減り、元々幹線だったとは思えない様相になった。これもまた、地方ではよくあることだ。

高校進学後、@chi_ri_jinの通学手段は、徒歩から自転車に変わった。自転車が鉄道よりバスの加減速に近く、バスのような気さえした。また、自転車のため行動範囲は広がる…つまりその行動パターンだけ路線は増え、広がる。自分自身の行動範囲だけを路線図にすると、自宅が巨大ターミナルのようになり、実態とかけ離れてくるので、他人の行動パターンも織りまぜてなんとなくバランスを整えていく。その他人とは、私の近くにいた人々や、一般的な人々(人通りやパターン)だった。

最盛期のバス路線(2002年) ※クリックで拡大

2002バス路線図.jpg
1〜2回しか行かなかったところも路線として描いている。

レイアウトソフト導入後の路線図(2004年)

立川路線図200407.jpg
高校の卒業直後に作ったもの。ちなみに@chi_ri_jinは代ゼミ生でも城南生でもない。

こうした"クセ"は、回覧の進展とは別で続いていた。
最近まで@chi_ri_jinは、自転車で走っていると小刻みにバス停があるつもりになりながら走るクセが抜けなかった。

Story01:ネットを介さないITの模索…「回覧」の登場

ここでできた「滝蔵交通」(@chi_ri_jin)と、佐都市高速鉄道(@takiwo88)の間で、FAX通信が開まり、やがてフロッピー回覧が始まります。

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